国生みはすべて太陽から

公共貨幣で新国生みとは、どういう意味なのか、一緒に考えていきたいと思います。新国生みの前に、国生みがあったわけです。物事を考えるときに、銀河系・ギャラクシーから思考を始めると迷わないでいいというのが私の考え方です。私たちの世界は銀河系システムの中にあります。その小さな一部が私たちの太陽系・ソーラーシステムです。太陽系も銀河系システムのように、渦巻いています。太陽系の中には、太陽があり、地球があります。金星や木星などの惑星が回っています。

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私たちが国生みと言うとき、必ず太陽との関係を考える必要があります。太陽を信仰する宗教はどのくらいあるのか調べてみると、世界中で100以上の太陽神があることがわかります。すべての自然にことごとく神が宿るという多神教の考え方です。この八百万の神の考え方を今でも几帳面に守っている国が、私たちの日本であるといってよいと思います。日本というのは太陽をベースとした根源的な文化をいまだに残している国だと考えると、今からお話する古事記の意味ももう少し分かってきます。

古事記の国生み神話

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淡路島は日本最初の国生み神話の島だといわれていますが、この国生み神話が出てきたのは古事記です。イザナギとイザナミの神が混沌とした世界に島を創りなさいという命をうけ、天沼矛(アメノヌボコ)をかきまわしたところ、滴り落ちた雫(しずく)が固まってオノコロ島になった。そのオノコロ島に降り立ち、二柱を立てて、どんどん子どもを生んでいくというのが、古事記の国生み神話です。まず8つの島を生み出しました。大八島と言います。

私が卒業した淡路島の高校の校歌に、「八島のもとい淡路島」という一節がありますが、当時は意味も分からず歌わされていました。高校のときには分からなかった八島という意味が、古事記の世界から見えてきます。

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淡路島、四国(伊予)、隠岐の島、九州、壱岐の島、対馬、佐渡島、最後に畿内と八島になります。このようにして日本列島が創造されたというのが古事記の世界です。これをダイナミックに描くと、渦を巻いているような形で創造されたとも言えます。これが古事記が記述している日本の国生み物語です。

この国生み神話は誰がいつ何のために編纂したのか、これが分からないと古事記の意味が見えてきません。皆さんご存知の方もいるでしょうが、天武天皇が古事記編纂の勅令を出しました。天武天皇の元々の名前は大海人皇子(おおあまのおうじ)と言います。淡路、四国、九州は、縄文時代と弥生時代を通じ海人族が活躍した所です。天武天皇の祖先は海人族ではないのか、だから大海人皇子とつけられたのではないのかなと想像します。すると、なぜ天武天皇が古事記の編纂を命じたのかわかるような気がしてきます。古事記は上中下の3巻からなりますが、天武天皇が勅令をだしてから、実に31年間かかって完成しているのです。教科書では元明天皇の時代に太安万侶が編纂したと教えられますが、実に31年もかかって神話をつくっているわけです。どの島を最初にするのかということは、考えに考え抜いた末の結論だったわけですね。

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国生みの話を皆さんと一緒に考えていきます。

大化の改新を始めたのは、中大兄皇子と中臣鎌足と言われています。中大兄皇子が蘇我入鹿を暗殺して天智天皇になります。弟の大海人皇子(後の天武天皇)と国づくりを始めるわけですが、天智天皇が亡くなったとき、弟に皇位継承すると考えられていましたが、息子の弘文天皇に継承しました。そこで大海人皇子と弘文天皇の間に争いが起こります。これが壬申の乱で、大海人皇子が天下をとり、天武天皇となりました。天武天皇の奥さんが、万葉集の和歌「春過ぎて 夏きたるらし 白妙の 衣干したり 天の香久山」で有名な持統天皇です。間に生まれた孫が第42代となる文武天皇です。持統天皇から孫に皇位継承がなされました。その後、持統天皇の妹である元明天皇に第43代皇位が継承されました。こうした皇位継承の中で日本最初の国生みがなされたということですね。そしてこの時代に古事記が編纂された。これが日本の国生みストーリーです。古事記神話に包まれた非常にロマンチックなストーリーです。

では、古事記は何のために編纂されたのか、最初の疑問に戻ります。古事記のエッセンスは何なのか。古事記は全3巻からなりますが、ごく一部の特権階級の人にしか読むことのできない皇位継承の書だったと考えられます。

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天照大神が自分の子どもではなく孫のニニギノミコトに地上に降りて天皇として日本の地を治めなさいと命令した、それが天孫降臨です。孫に皇位を継承した、これが古事記のエッセンスです。このとき、天照大神が孫に渡した三種の神器が、八咫鏡 (やたのかがみ) ・草薙剣 (くさなぎのつるぎ) ・八坂瓊曲玉 (やさかにのまがたま)です。これがないと天皇を継承できないという原型が古事記の時代に始まりました。

事実、天武天皇の奥さんの持統天皇は、孫の文武天皇に皇位を継承しました。天照大神が孫に皇位を継承するのとよく似ていますね。持統天皇が孫に皇位を継承するのを権威づけるために古事記が編纂されたのではないかという解釈が成り立ちます。

天武天皇が亡くなってすぐ、飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりょう)というのが出されます。そこではじめて大和の国を、日本という国に変えるわけです。それまで大王(おおきみ)と呼んできた名称を天皇に変えるわけです。現在の日本の国生みはこうして始まりました。大事な変換がこの時代にあったわけですね。710年には藤原京から平城京に遷都され、712年に古事記が献上されました。これが四国・近畿地方から始まった国生みストーリーです。

国生みと公共貨幣

この国生みと公共貨幣の話がどう繋がりがあるのかというのは、次の話です。

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701年に大宝律令という国を統治する最初の法を定めました。天皇の下に、太政官と神祇官という官職ができます。この太政官というのは、現在の総理大臣のような存在で、その下に8つの省があります。今でもほぼ変わらず続いている組織です。まずシステムを作りました。次に和同開珎という通貨を日本で始めて作ったわけです。最初の交換比率は、和同開珎一文が、籾殻米六升でした。平城京の建設労働者の日当が一文です。平城京を建設するために労働者を雇い、その労働者の賃金として和同開珎を作って支払ったということです。

国の建設と貨幣というのは不可分の関係にあるということを理解してください。

しかしこの和同開珎は思ったように流通しませんでした。そこで3年後に、お金を溜め込んではいけませんよという、蓄銭叙位の法というのをつくります。溜め込んだお金を政府に返すと位をあげますという法です。国の統治システム、省ができたわけですから、皆さんが位を欲しがるわけです。そしてその位はお金で買えますよとして、溜め込んだお金を吐き出させて流通させるわけです。こういう工夫をして当時の政府はお金を流通させたという歴史があります。国生みと公共貨幣は不可分の関係にあったことを押さえておいてください。

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国生みの後、貨幣が流通してくるわけです。いつまで続いたのか、幕藩、江戸時代の終わりまで続きました。江戸時代にはコインだけでは使い勝手が悪いということで、各藩が藩札を発行しました。今で言う地域通貨です。

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これは阿波徳島藩が発行した藩札です。

明治維新に突入して、1867年に坂本龍馬と由利公正が、政府が新しいお金を発行して国の礎を作ろう、という提案をしました。この提案に基づいて発行されたのが、1868年に発行され、その後13年間通用するという太政官札というお金です。金札とも呼ばれます。注意してほしいのは、太政官という名前をつけたことです。さきほど説明した大宝律令のシステム図を思い出してください。平城京は太政官が統治することになっていましたね。国生みの時にできた太政官が明治を統治するんだという意気込みを込めて太政官札を発行したわけです。

これがうまくいっていたら、明治維新は日本の第2の国生みとなるはずでした。大王(おおきみ)から天皇へと変わった天皇制を再度活性化して天皇のもとで新しい国生みをするんだという希望に燃えていたと思います。ところが不幸にも、天皇は西洋の「キング、国王」にされてしまいました。権威の象徴でしかなかった天皇が、権力をもつ欧米の国王に変わるわけです。そこで天皇制が崩れたと私は考えています。このときに、国盗りがなされたと。

これが私が見る国盗り物語です。

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以上まとめますと、国生みにはまずビジョンが必要です。天武天皇が命令して古事記という皇位継承のビジョンをつくりました。法律は大宝律令です。そして経済の支えとなる和同開珎をつくりました。これが明治の太政官札まで続きました。ここまでが国生み、公共貨幣の歴史だったと解釈できます。 これが明治になると崩れてきます。明治になって日本銀行ができて国が乗っ取られるというのが次の話です。

債務貨幣による国盗りに続く⇒

~「お金が変われば世界が変わる!公共貨幣で新国生みトークンを創ろう 2018年」より~


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